執着とあるがまま
こんにちは、佐々木です。
今日もとりとめのない話をしたいと思います。
毎日自転車通勤をしていると、
っていうか電車通勤でも同じなんですが、
僕はいろんなことを考えています。
自分のまわりの人をウォッチングしてみたり、
昨日おきた出来事を思い返してみたりとか。
電車内の人間ウォッチングの中で、
みなさんもよく見る風景かと思いますが、
電車の中で化粧する女性!
結構いますよね。
ちょこっとお手入れなんてもんではなく、
いつまでも化粧をしている女性。
いますよね。
きれいになりたい女心は理解できなくはないのですが、
なんか違和感を感じませんか。
それはマナーの話じゃないかという意見もありますが、
美しくなりたいという執着心によるものも多く見受けられます。
化粧だけの話ではないのですが、
執着はほどほどにしないと危険(不快)な感じがするんです。
たとえば、
あるものに執着する
ある人に執着する
年をとっても若かった自分に執着する
人は少なからず何かしらに執着心を持っていると思います。
これが度が過ぎると痛々しく感じませんか。
逆の発想をすると、
その執着心を利用したビジネスは多くありますよね。
たとえば、
アンチエイジング
ものすごい多くの商品や方法が世の中にあります。
自分が日常的に商品を購入する際に、
それが執着心に依存したものであるかチェックしてみてください。
結構多いと思いますよ。
そう考えると、購買心理をうまくついたビジネスって
よく計算されてます。
執着が恐怖心からやってくるものだとすれば、
中々執着を自分から取り除くのは難しいですね。
執着している間は囚われているから自由な考えができないからです。
ただ、執着が自分の感情からくる悩みであるとすれば、
どこかで強い理性をもって悩みをシンプルにしていく考えが必要です。
「去る者は追わず、来るものは拒まず」
孟子の言葉ですが、シンプルじゃないですか。
たとえば、人の老いについて考えてみると、
若かった自分を去る者、年を取った自分を来る者と置き換えてみると、
シンプルにあるがままに受け入れられます。
なに言ってんだって感じかもしれませんが、
大事な考え方ですよ。
ここで僕も勘違いしないでおきたいのですが、
全てをあるがままに受け入れるってわけではなく、
執着はどこかのタイミングで切り捨てることが大事なんじゃないかってことなんです。
ものや人や過去の自分に対する執着をすてるためには、
やはり今の自分を好きになるしかないと思うんです。
難しいですかね。
僕はタバコをやめてから10キロも体重が増えた時代があって、
生まれて初めて「デブ」と言われたことがありました。
2年前から自転車通勤になり、
定期的に筋トレもやったかいもあり、
体重は5キロ減となりました。
20代や30代前半のころとは違いますが、
若干お腹も引き締まってきました。
「デブ」と言われた頃よりは自分の肉体を好きになりましたよ。
ふられた恋人への執着心を捨てる。
きれいだったあの頃は置いておいて今の自分のよさを再発見する。
筋肉隆々だったあの頃まではいかなくても年相応の肉体をキープする。
すぐには無理かもしれない。
でも、どこかで割り切らなきゃいけないんですよね。
それを自分の自由な考えの中でチェンジするんです。
僕は自分には2人の自分がいるってことを意識していて、
それを感情君と理性君って呼んでるんです。
感情君は一番先にやってくる自分で、
それを後からなだめるのが理性君の役割です。
これががキープできているときの自分は良好な状態です。
昔は感情君がやたら強かったな~